DREI MäDCHEN

20代女子3人が「背伸びしないサステナブルな暮らし」を提案するブログマガジン

miho doi / domiso
1989年6月東京生まれ。学生時代に50日間で世界一周する。大学卒業後、自然育児誌・ライフスタイル誌の編集者として出版社に4年間勤務。現在はフリーライターの修行中。2016年10月よりドイツ・ベルリンに拠点を移す予定。

- このブログは、3人の「わたし」が運営しています。
【 do 】ecologist / 環境や平和について考える、ちょっと真面目なわたし。
【 mi 】foodie / おいしく安全にをモットーに活動する、週末料理家のわたし。
【 so 】artist / アートやおしゃれが好きな、いちばん自由なわたし。

- タイトルの「Drei Mädchen(ドライ・メートゥヒェン)」とは、ドイツ語で「3人の女の子」の意味。

サステナブルなあのひと(1)フィリピンから見えた日本

 1ヶ月ぶりにしれっと更新です。「サステナブルなあのひと」と題して、domisoが「いいな!」と思ったひとを、今後不定期に紹介していきたいと思います。というのも、いまある社会や環境をよくしたい、変えたいと思ったとき、とくに同世代がどんなことを考えているのか、実践しているのかを知りたかったからです。わたしひとりではカバーできない、さまざまな分野の意見や知識をこのブログで共有していけたらと思います。

 

サステナブルなあのひと

ひとりめ 仙波梨英子さん

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 記念すべきひとりめは、仙波梨英子さん。学生時代にフィリピンを訪れてからというもの、フィリピンが大好き! 現在、大学院で日本に暮らすフィリピン人とその子ども世代について研究しています。そんなフィリピンに魅せられた彼女の目は、いつしか日本を見つめていました。さて、仙波さんが見つめるいまの日本社会とは…?

 

全く知らない国から

大好きな国へ 

 

 フィリピンといえば、最近は語学留学先として人気ですが、「バナナ」や「パブ」を連想するひとが多いのでは…。仙波さんも、かつてはそのひとりだったと言います。そのイメージが変わったのは、大学のサークル活動でフィリピンに短期滞在したとき。「女性の司祭さんの家にホームステイをしたんですけど、初対面にも関わらず『あなたはきょうから家族よ』と言って迎えてもらったんです。そんなフィリピンのオープンな雰囲気に、感銘を受けたことを覚えています」。やがて「わたしもフィリピン人みたいになりたい!」という気持ちが芽生えた仙波さん。その後、大学を休学し、約1年間フィリピンに住むことに。

 

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ホームステイ先にて。フィリピンに「家族」ができました。(写真提供:仙波さん)

 

「フィリピンのひとたちは、誰かと一緒にいることをすごく大事にしていて、わたしが隣りの家に行くときも、心配して『一緒についていくよ』と声をかけてくれる。はじめて行ったおうちでも、誰の隣りにわたしを寝かせるか、真剣に話し合っていましたね(笑)。ひとりでいることがラクなときもあるけれど、誰かと一緒にいることの心強さを、フィリピンのひとたちから感じることができました」(仙波さん)。

 農村に滞在しながら、フィリピンのよさを発見する一方で、貧困問題を目の当たりにした仙波さん。「フィリピンはGDP国内総生産)の約10%を外貨に頼っていて、男女問わず外国に出稼ぎに行っています。日本に行ってみたい、行ったことがあるというフィリピン人にも多く出会いました」。日本に戻ってからも、フィリピンに関わり続けるにはどうしたらいいか。帰国した仙波さんは、国内にも多くのフィリピン人がいることを知ります。そして、フィリピン人の女性とその子どもたちを支援するNGOに参加することになったのです。

 

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帰国後に、フィリピンをもっと知ってもらいたい、と絵を描きはじめた仙波さん。「たとえばパリのように、地名を聞いてその風景をイメージできる。フィリピンもそうなってほしいなと思っています」(仙波さん)

 

壁だらけだった

日本社会

 

 フィリピンが大好きでNGOに参加したものの、フィリピンにルーツをもつ子どもたちと温度差を感じたと仙波さんは言います。「おかあさんがフィリピン人という子が多いんですけど、そもそもフィリピンに行ったことがない、行ったことがあっても『やっぱり日本がいいよね』と話していたり、別にフィリピンと関わりたくない、そんな空気感がありました。なぜなのかと考えたら、とくにフィリピンの女性は90年代まではエンターテイナーとして日本に来ている方が多かったので、そういったイメージと自分を一緒にされたくなかったり、日本で生まれ育っているのに、見た目や名前が違うことでいやな目にあっている子もいるんです」

 

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NGOでの活動のようす。キャンプは年に1度の大イベント。(写真提供:仙波さん)

 

 イメージや偏見によって、一人ひとりがのびのびと生きられない日本社会に対して、仙波さんは疑問に思いはじめます。「わたし自身、子どもたちのことを『フィリピンのハーフ』として認識していました。でも、そもそもそのように考えてしまう日本社会とは何なんだろうって。クラスにアメリカにルーツがある子もいればペルーもいる。じつは、いまの子どもたちの世代にとって、それぞれ違ったバックグラウンドをもっていることは当たり前になってきている。一人ひとりと友だちになることによって、逆に気づかされました。結局、イメージや偏見をつくってきたのは大人たちなんですね」

「いま、日本は外国にルーツのあるひとが増えています。みんなで一緒によりよい社会をつくっていくには、それぞれのいいところをいかに伸ばし合えるか、にかかっているのではないでしょうか。だからこそ、『多文化共生』が日常になりつつある若い世代に学べることは多いはず。もちろん、世代ごとに違った知識や実体験があります。もっと世代を越えて対話をしていくことが、理想的だと思っています」(仙波さん)

 

会って話して

見えてくること

 

 社会の中で手を取り合っていくために、とりわけ「対話」を大切にしているという仙波さん。「自分とは違う仕事をしているひと、違う世代のひと、地元のひと…できるだけ、いろいろなひとに会って話すようにしています。単におもしろいというだけでなく、そこに知恵はたくさんつまっています。そのひとが感じていることを聞き出して、自分のもっている何かと化学反応を起こせたらいいですよね」

 そんな仙波さんから、最後に「サステナブルな暮らしの提案」をしてもらいました。「きちんと対話をするための提案として『SNSに頼りすぎない』。SNSは短時間で視覚的に伝わるけれど、ある意味では危険だと思っています。このひとこんなことを言っているけど、本当はそうじゃないかもしれない。核心をつくような意見を聞いたり、そのひとらしさを知るには、直接会って話すことがいちばんだと思います。それに、賛成派は少ないと思うけれど、わたしはスマートフォンではなくガラケーを使い続けます!(笑)」

 たとえ第一印象がよくなかったとしても、話してみたらびっくりするほど気が合った…わたし自身もそんな経験があります。国や文化、世代が違っても、ちょっとずつ壁を低くしていけたら、この世界はもっとたのしいものになる。「それぞれ違ったバックグラウンドのあるひとたちとどう社会をつくっていくか、本当にたのしみ」という仙波さんのことばを聞いて、少し肩が軽くなった気がしました。

 

27 August, 2016 / domiso

 

背伸びしないサステナブルな暮らしの提案

03「SNSに頼りすぎない」

背伸び度:★★☆

 

せんば・りえこ 1986年長野県生まれ。大学卒業後、5年間の社会人生活を経て、横浜市立大学大学院に入学。現在、修士論文を執筆中。2015年から2016年にかけて1年間、日本のフィリピン人家族と暮らしをともにした。タガログ語もペラペラ!